●真実は人を救うのか、という問題
有名な禅のお話で、「放下著(ほうげじゃく)」というお話があります。
ある修行者が、趙州(じょうしゅう)和尚という高名な和尚さんに、尋ねるんですよ。
修行者「私は執着心を捨てきれません。どうしたらいいでしょうか」
和尚 「その思いをも捨てなさい」
修行者「やってみましたけど、それでも捨てられないんです!」
和尚 「なら持って生きなさい」
あんた、さっきなんて言った!?って突っ込み入れたくなるでしょ(笑
さっきまで「捨てなさい」とか言っていたのが、舌の根も乾かぬうちに、
「なら持って生きなさい」と、前言撤回してるわけです。
これが仏教なんですよ。
小さな子を病で失って、泣きわめいている母親がいる。
そこで、母親は医者に、「どうしてあの子は死んだの?」と言うわけです。
一神教的な考え方だと、こう答えます。
「お子さんは、インフルエンザに併発した肺炎が原因で死にました」
いや、確かにそれは疑いようのない「真実」ですが、母親が聞きたい言葉は、
そうじゃないですよね。
時に、人は真実のみではどうしようもできないことがあるわけです。
「こういうことを教えるために、あの子は生まれてきたのですよ」とか、
「少しでも貴方と一緒にいられて、喜んでいたはずですよ」とか、
何か「嘘(方便)」でも使って折り合いをつけなければならないものなんですよね。
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