2006年4月、一人の哲学者が縊死した。
『超越錯覚』(新評論1992)、『高学歴社会におくる弱腰矯正読本』(新評論2000年)、
『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組み』(新評論 2005年)の著書がある、須原一秀氏である。
それは、「〇〇の責任を取って」でも、「世をはかなんで」の自死でもなかった。
自死決行に先立ち、須原氏は遺書、否遺稿を認め、『新葉隠』と題した。
その遺稿が、『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』というタイトルで、年明け早々、双葉社より刊行された。
“「平常心で死を受け入れるということは本当に可能か?―それはどのようにして可能か?」ということを哲学研究者の一人として
自分自身の心身を賭けて調査・研究し、後進に追試・研究の道を開く仕事が哲学研究者には残されていると考えたのである。”(P36)と須原氏は言う。
「死の準備教育」は、ソクラテス以来の哲学の課題であり、まさにそのソクラテスの刑死こそ、「間接的自殺」という解答だと須原氏は見る。
そして、三島由紀夫や伊丹十三の自死に、「老醜」への嫌悪/「楽しいうちに死にたい」という積極的な意志を見て取る。
そして自らもまた、その意志に共感/共有するにいたるのである。
彼らが「老醜」を嫌悪したのが正しい選択であり、みずからも同じ意志を共有するにいたった根拠として、須原氏は、
三十年にわたって九千人の死を看取ったヌーランドの『人間らしい死にかた』(河出文庫)を引く。
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